2010-07-11

【RR2】FlowerのマイクスタンドはMariaなんじゃないか説

Visualiveの感想を書こうと思っても時間がない中、いきなり書き始めたのが突飛押しもないアイディア.
正直、意味が分からないのではないでしょうか.



Gackt Visualive Tour 2009 Requiem et Reminiscence II ~鎮魂と再生~
この、Visualiveという言葉の、Gacktの言う意味と、更に僕なりの解釈というのはまた別の機会ということにして、
とにかく、Gackt曰く、様々なことを考慮して作ってあるこのライブ.
すべての表現に意味があり、答えは無限大であるというのが、Visualiveの魅力のひとつだと思う.

そのVisualiveの17曲目"Flower"のマイクスタンドが、このRequiem et Reminiscenceという物語のヒロインの一人、マリアに見えてしまったのは、このYoutubeでいうと5:10あたり.
このカット、正直に言って世の中不評すぎるこのVisualiveのDVDの魅力をぐっと詰め込んだ一瞬だと思う.
歌ってる姿でも、ギターを弾いている姿でも、圧倒されている観客でもない、倒れたマイクスタンドと、照明が映し出す光、それも力強く照らされているわけではない.
確かに普通の映像表現としてありうると思うのだが、この"Flower"という虚無感と究極の愛を表した曲というバックグラウンドが加わると、このワンカットが物語のワンシーンを模写したものに見えてくるのだ.

マリアは、大学で出来た友人アサクラを庇って銃殺された.その頃にはZero、かつてのレイも死んでいる.物語の展開として、死んだマリアをZeroが見ることは出来ないのだけれども、Zeroが倒れたマリアを前にして悲しみにくれているんだ、このライブのシーンが見えてならない.
いや、そもそもFlower(春)の時間軸は、Lost Angels(冬)よりも後(コレは本人がインタビューの中で発言していた)であるから、、、と考え出すとわからなくなる.
そういう細かいことを考えると真っ先にありえない説なのだが、このワンカットの説得力を思うと、こんな考え方も許してほしいなと思うのである.



2010-07-08

【フランクに真面目な議論】草野仁がスポーツ界に呈した苦言が、音楽業界にも言えるのではないだろうか

全然ブログなど書かないが、書きたいアイディアが湧いたので書く.

今年に入って、かの「うたばん」が終わってしまった.
私が、今は自分の生活になくてはならないGacktさんと出会ったのが、ほかでもないこの「うたばん」であったのだから、本当に残念でならなかった.
私が好きだった時代のうたばんは、それぞれのアーティストの魅力を活かすトークが展開されていた.モーニング娘。、嵐、Gackt・・・
よく分からなくなってきたのは、コメディアンなどが出るようになって、その割合がどんどん大きくなってきたとき.久しぶりにこの番組を見たとき、昔感じていた魅力が全くなくなっていた.


Gacktが2nd album"Rebirth"をドロップした際の音専誌『uv』で、広瀬充が書いていた言葉が非常に印象的だった.僕は、Gacktはアルバムアーティストだと思っている.だから、『君のためにできること』を初めて訊いた時も、それだけを「すばらしい」とは言わなかった.アルバムの中で、どのような輝きをするのかを感じて、はじめて賞賛の言葉を口にしたい、といった旨の言葉だった.

僕も、Gacktにはこういった魅力を感じていた.一つひとつの楽曲の振れ幅は大きく、でも全てひとつのストーリーから派生していて、アルバムを通して、またはライブでのアプローチを観ることで、そのアイディアを知ったときの感動が半端ない.
そんな彼だから、シングルをドロップした際にテレビ番組に出て、他愛もないトークをして、シングル曲を歌うというPRは、ちょっと彼には合わないんじゃないのかな、そうずっと感じていたが、うまく言葉にならなくて引っかかっていた.


思い起こしてみると、民放の音楽番組は、どれも音楽の話でもなく人生論でもなくフリートークをして、曲を3分に縮めて歌う.3分に縮めることで、これぞ!という説得力ある言葉が削られたり、あるべき感情の高揚も省かれてしまう.Music Stationも、うたばんも、Hey×3も、Music Fighterも全部そうだ.
トークは面白いが、曲を3分見せられただけで、なんだかなー、と思って終わり.音楽市場が広がるわけでもないし、それじゃCDも売れない.

先日、草野仁が新書をリリースしたが、その中で、近年のスポーツキャスターに苦言を呈していた.
最近のスポーツキャスターは、その競技について下調べをするわけでも、詳しくなるわけでもない.それで、調子はどうですか、今日は何を食べましたか、そんなどうでもいい話しか選手にインタビューしない.競技の醍醐味を伝えるわけでもなく、その競技の玄人を唸らせる話を引き出すわけでもない.「最近グリップが下がっているように見えるのですが、どうされたのですか?」「ステップを狭めているようですが、何か意図があるのですか?」そんな質問ができたら.そんな内容の話だった.
確かにそうだ、今一番面白い野球のデレビ企画は、Get Sportsで栗山巧が選手に行うインタビュー.ツイスト理論の話、非常にエキサイティングだった.


森田一義も、石橋貴明も、中居正広も、ダウンタウンも、キングコングも、そんな音楽には素養がない.笑うことは出来ないかも知れないが、「今作はいつもになくアコギが前に出てるけど、どういう感じで作ったの?」そんな話を、音専誌ではなく、テレビで聞けたら.
佐野元春のThe Songwriterという番組があると最近知ったが、是非見てみたいものだ.というか、先日テレビでやっているのを見かけたが、父親にチャンネル覇権を奪われてしまった.

そんな重い話が、そのアーティストのファンではない視聴者にうけないというのなら、例えばテレビ番組上で、プロのアーティストによる対バン形式の音楽番組なんて面白いのではないだろうか.
こう思うにはいくつか理由がある.
まず、新曲1曲というわけではなく、数曲を演奏できる機会であること.楽曲ではなく、アーティストに大きな興味を持たせる、いいPRの場になるのではないだろうか.
つぎに、ライブであるということ.300人でいいから観客を入れればいい.臨場感があって、アーティストによっては煽りや掛け合いがあれば、なお良しだ.
そして、対バンであること.別のアーティスト興味で来た観客を、どれだけ自分に引き込むことができるか.どれだけ感動させられるか.アーティストも必死になるし、観客や視聴者が惹きつけられる、とてもおおきな力学がはたらく.
Gacktは2003年に、アマチュアのライブハウスに、シークレットで対バンを仕掛けたことがあった.自分たちの原点を忘れず、しかも自分のファンではない人たちにどれだけ響くステージが出来るか、試したかったのだという.
去年、彼はアニメロサマーライブに出演した.直前のインタビューで「イベントに出る限りは対バン.自分の名を引っさげてやるんだ.ただ出るなら、セッションで僕がドラムを叩くだけでもいいじゃないか.でも、僕は自分のバンドを引き連れ歌うんだ.」歌う声優を目当てに来た野郎どもを、ここまで煽る彼に、こんなアイディアの潜在的な可能性を感じるのだが.
そして、ライブなのだから、格安でチケット販売すれば、収益も見込めるかもしれない.