2011-05-26

「書く」ということ.

先日ご紹介したように、「言葉の森」の港南台教室へ足を運び、代表の中根先生といろんなことについて話してきたんだが、不思議と同じようなことを考えていた話題のひとつに、「手で書くこと」の大事さ、ということがあった.

先の記事でも触れたが、言葉の森では、小学4年生のころからパソコンでの作文をするように指導をする.この2010年代という今ならあまり不思議でもないが(それでも戸惑う親もいるか?)、僕がそれを習っていたのは2000年.言おうと思えば、ぎりぎり20世紀である.クラスの友達でパソコンに触れたことのある人はごく一部で、多くのクラスメートはキーボードの文字を探しながらタイピング(もちろん一本指)をしていたが、僕はスラスラと言葉を並べていた.

中学になるとホームページ作成のスキルを身につけようとHTMLを動かしてみたり、高校になってからもブログをやってみたり(今思えば、このころにC言語くらいやっていれば良かった)と、そこそこ「パソコンでなにか書く」という事においては強みがあった.それで結局今はjavaの勉強をしているわけなんだけれども.

場面は変わって大学.中根先生は最近の大学の風景を知らなかったんだが、今の大学の多くの授業では、昔ながらの黒板は、半ば「過去の遺産」になりつつあり、スクリーンを広げ、そこにプロジェクターで講師のPC画面、特にPowerpointのスライドを映して授業を進めるという形が取られている.人文学っぽい授業ならまだわかるんだけど、驚くのは経済学でもこんなことをする先生が多い.自分でグラフを書くでなく、プロジェクターで次々と示される消費者余剰、生産者余剰…

こういう授業を3年間受けてきたわけなんだけれども、それを通して、やっぱり手書きって大事だな、と思い始めた.手を動かしながら頭が動く、というのは本当で、このインタラクティブな感じが好き.

というのは中根先生も思っていたようで、「書きながら考える」のはパソコンでの作文には限界があり、あっちこっちに思考が飛ぶ「あの感じ」は手書きがいいんだな、となりつつあるらしい.それで、作文を書き始める前の構成メモをしっかり手書きで生徒に書かせ、それをもとにワープロソフトでダダダダッと作文を書かせるような指導に転換させてゆこうとしているとか.

思えば、大学受験の準備をしていた時ってずっとこんな感じだったじゃないか.
僕は、一橋大学商学部の4年生だけれど、入試では「現代文の課題文を200字で要約する」とか、「英語120語でエッセイを書く.勿論事前問題掲示とかじゃないよ」とか、「世界史では2時間で3つの話題について合計1200字書いて.」みたいなことばっかりやらされてて、特に受験直前の半年は常に100円ショップで買った原稿用紙がお友達だった.まず下書きをつくり、足りないところや至らない表現を直して清書、そして先生に添削をお願いする.そんなのをずっとやってた.特に要約と世界史は.

大学4年目の夏、例えば企業金融の授業がパワーポイントだけれども、なるだけグラフも注意書きもメモを取りなおしている.やはり頭にすーっと入ってくる.

上手い「パソコン書き」と「手書き」の組み合わせ方、少し考えたい.

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